新城市大野地区における近代化遺産及び建造物現況調査

 新城市大野地区は、江戸時代より人と物の行き交うまちとして賑わい、明治時代に入ってからは林業家が興り、大正時代にかけては製糸工場によって発展したまちです。平成26年度事業の「県内の歴史的建造物が数多く残る町並み調査」のひとつとして、住民の方のご理解と、大野行政区長様、新城市設楽原歴史資料館、地元ボランティアの皆様にご協力いただき、町並みの全体調査と個別調査を行いました。全体調査としては、趣があり町並みを形成している築50年を過ぎた建造物、社寺、祠、石碑、土塀・石垣、赤道・橋・堰・旧跡などを、現地にて聞き取りと目視による調査を行い、個別調査については、所有者のご理解・ご協力のもと、地域の特徴をよく伝える歴史的建造物2物件について調べました。

二つの街道(秋葉街道と別所街道)と町の発展

 江戸時代、秋葉山や鳳来寺への参詣道は、古くから庶民の寺社への祈願、生活の中での慰安の街道でした。鳳来寺道は、東海道御油宿から新城、門谷、鳳来寺、大野を経て秋葉山、下って遠州 掛川へ抜ける「信仰の道」で、東海道の脇街道でもありました。途中、大野は「商いのまち」として賑わい、商家や小商い、髪結、宿などが軒を並べていました。明治に入ってから、豊橋を起点として、旧八名郡側を北上し、大野町を経てやがて別所(現北設楽郡東栄町)へ通じる川沿道の別所街道が整備されたことで、その街道沿いに新しい商売の店が立ち並び、まちは大いに発展しました。大野周辺では、明治の中頃からは植林が盛んに行なわれ、山林が整備されていきました。樹皮、コケラ、木炭、建築材が地元で生産され、製材、桶屋、建具屋、鍛冶屋など、林業や木材に関わる商売をする家が多く点在しました。また、周辺では養蚕が盛んに行なわれ、大野は繭の集積の地で、町内には4つの製糸工場がありました。活況を呈したまちには買物客が北設楽や北遠、引佐方面(立地条件から三遠経済圏に入る)からも訪れたそうです。

当時の萬喜製糸工場

萬喜製糸工場跡

 

 

 

 

 

 

 

 地元の山林資産家たちは林業金融のために銀行を必要とするようになり、明治29年、東三河で初となる民間銀行が設立されました。折からの製糸産業と関連の商取引の機能も加わって、周辺の市町村へ支店・出張所を開設し、東三河の金融の拠点となりました。昭和20年に地方銀行の統合で東海銀行(現 三菱東京UFJ銀行)になるまで県内有数の健全経営が続けられました。大正14年に建てられた外壁を鉄筋コンクリートで囲み、内部を木造2階建とした和洋折衷の旧大野銀行は、現在も町のランドマークとして堂々とした存在感を放っています。現在も美術喫茶として活用されています。

大野宿鳳来館(旧大野銀行本館)   (平成21年 国登録有形文化財)

町並みの特徴

 大野は宇連川左岸の南北に細長い河岸段丘の平地に位置し、古くから塊村があったところで、街道の発達とともに町並みが形成されていきました。街道筋には今も道標が点在しています。また、街道に面したおもてなしの町並と明治期より存在する生活道の赤道(あかみち)が多く残っています。建物の特徴としては、多くが平入のつくり(妻入りは少ない)で、窓や入口に霧除けは無く、軒は船枻組(せがいくみ)で深くとっています。江戸期の建物は軒が低い厨子(つし)2階建て。明治期以降は中2階建てでも近年になるほど軒が高くなっています。また、開口部(1,2階共)に木製の縦格子を用いた建築が多いのも特徴です。他の街道町でも多くみられるように通りに面して間口は比較的狭く奥に長い敷地となっています。

船枻組(せがいくみ)

商店街の様子(昭和30年頃)

街道に面したおもてなしの町並

 

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新城市大野地区担当ヘリテージマネージャー

川島・榊原・長谷川・廣畑・望月

大野行政区長承認済